オランダは市民社会が発達した先進国

オランダは、日本とはとても縁がある国です。

江戸時代の日本は、何百年にもわたって鎖国を行っていました。

鎖国とは、海外に対して国を閉ざし、国交を断絶することです。

ですから、江戸時代は、急速な経済成長や技術革新こそありませんでしたが、自給自足の農耕社会で、人々はお互いに助け合いながら穏やかに暮らしていました。そのような時代に、日本と国交があった国が二つだけあります。

その二つが、当時の中国とオランダでした。中国は日本に最も近い外国で、古来からアジアの先進国としてリーダー的存在だったため、日本は中国から先進文明を導入していたのです。

では、なぜ中国とともに、ヨーロッパの国が日本と交流があったのでしょうか。

当時のヨーロッパは、大航海時代で、大国は次々にアメリカ大陸やアジア各国に航海し、貿易の拠点を求めていました。

それまでは、ヨーロッパ大陸内で交易を行っていましたが、新大陸には銀などの鉱物資源や香辛料など、ヨーロッパでは手に入らない貴重な物資に恵まれていたので、大国は先を争って新大陸に進出し、積極的に海外貿易を行って新大陸の富を独占するようになったのです。当時の大国には、イギリスやスペインなどがありましたが、そのなかでもオランダは最も市民社会が発達した先進国でした。

当時は、フランドル地方と呼ばれてスペインの植民地でしたが、もともと独立の気運が強い地域だったので、長らく宗主国との抗争を繰り広げ、独立を勝ち取る努力を続けていました。

フランドル地方は毛織物の生産が盛んでとても豊かな地域だったので、スペインは厳しい制裁を行って独立運動を弾圧しましたが、市民の抵抗は根強く、ついに独立を果たしました。その後は、海外貿易や伝統の毛織物業などで莫大な富を築いた商人が政治や経済、文化の中心となり、国を発展させていったのです。

ですから、この国は他の国に比べると、貴族などの特権階級の力が弱く、市民が多大な権力を有しているので、先進的で開放的な雰囲気にあふれています。

その機運はさまざまな場面に表れており、例えば、世界で初めて安楽死を合法化するなど、諸外国に先駆けた革新的な取り組みがなされています。

現在はかつてのような勢いはなく、ヨーロッパの一小国としての地位を保っていますが、国民の生活水準は高く、住みやすい国として知られています。

チューリップや風車、運河の街並みが名物で、日本からの観光客も多数訪れています。